2010年10月31日

自 分 を 探 し に 幾 千 里


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ー 食 糧 難 ー

RAWは一体何ものか。生の、加工せぬ。JPEGは。ISO等によって決めたられた圧縮方式に基づいて作成された画像ファイル。圧縮された分だけ画質が痛みやすい。色調も各メーカーによって適宜現像されている。RAWは生。RAW加工ソフトによって、WB、露光、白トビ、黒レベル、コントラスト、自然な彩度、その他自分好みの色調に現像可。圧縮されていないから、画質は痛まない。なるほど。これならRAWの方が良い画質、良い色調の作品が出来ることになる。 しかし、現実はどうか。 もう少し調べてみよう。
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2010年10月30日

自 分 を 探 し に 幾 千 里


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ー 異 常 気 象 ー

本体のみ131、800円也。高速CFカード8G、同時に買うと30%引き。合計約14万円。ポイント10%、そこから5%払って5年延長保証。 帰るなり初期設定し、試運転。感度良好。RAWに設定して、約500枚撮影。ところが、CS3ではRAWは開かない。アドビー社に電話。「D300SはCS5でないとだめですね。CS5お試し体験版如何ですか、すぐダウンロード出来ます」「お願いします」約2時間掛ってCS5体験版インストール完了。これなら開ける。 だが、不慣れなCS5、どうも扱いが悪い。当然のことながら、バージョンアップ、24000円が必要。本当にRAWが必要だろうか。また考え始める。
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2010年10月29日

自 分 を 探 し に 幾 千 里


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ー 古 代 ロ マ ン ー

今の自分に、本当にD700が必要であろうか。かつて友達に借りて、キャノン5DマークUとD200を撮り比べてみた事がある。画質は全く変わらなかった。確かに大きく伸ばすとその差は歴然。つまり、全倍以上に伸ばす場合は意味があるけれど、精々全紙程度であれば変わらない。しかもフォトショップを経由すればデーター容量が何倍にもなり、益々問題ない。そこでひらめいたのがD300S。それを使っている友達に即、電話。「もし、今カメラが壊れたら、やはりD300Sを買います」 「それほどD300Sは良いですか」 「D300Sを持ってる友達がD700を追加で買ったそうです。両方使ってみて、自分にはD700は必要ない。買うではなかったと言っていました」 「そうですか。これで決まりました。D300Sにします」 早速、午後から秋葉原へ出かける。 気分は上々。
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2010年10月28日

自 分 を 探 しに 幾 千 里


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ー 永 遠 ー

もう1年も前から、次にカメラを買うならフルサイズと決めていました。つまり、ニコンならD700。1週間前ヨドバシカメラへ行くと、本体のみ197000円。遂に20万円を切りました。新機種発売の前兆であろう。年末くらいに出るかな。などと考えていました。ところが先日また行って気が付きました。フルサイズカメラ用レンズ(28〜300)がD700に装着されていたのです。つまり、従来レンズも使えますが、カメラをフルサイズにすると、レンズも替えないとその能力が100%発揮出来ないと言うのです。そこへD200の不調です。後がありません。さてどうするか。不思議。 思いがけない案が浮かびました。
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2010年10月27日

自 分 を 探 し に 幾 千 里


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ー 人 間 誕 生 ー

カメラが遂にこわれました。 落としたり、事故ではありません。 使いつぶしたのです。買って4年半。当時メーカー保証はシャター回数10万回。デジカメは消耗品ですと聞いて驚きました。本体のみ15万円もするものが消耗品とは。 思い返せば、なるほどよく使いました。 ここ1カ月ばかり前から、露出がうまくいかなくなり、時に真黒、時に真っ白。 だんだんひどくなり、先日は10枚ばかり続いて真黒になりました。更に自動でのピント合わせが鈍感になり、被写体によっては時間がかかるという始末。 当然修理も効くでしょうけれど、もう充分。D200よ、よく働いてくれました。ゆっくり隠居して下さい。
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2010年10月26日

人に出会い、美しい風景に感動し、歴史に触れた9日間


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ー 大 極 殿 ー

草むらの脇の道を数百メートル歩いて、大極殿院南門。 南北320m、東西180m。 築地回廊と呼ばれる白壁と赤い格子の塀で囲まれている。その中に立派な大極殿が聳えている。天皇の即位、海外からの使節歓迎儀式などの行われた場所。天皇の玉座があったそうな。 残念ながら拝観は4時30分迄。 院内へ入る事は出来なかった。
平城京の意義は律令国家が設定され、我が国初めての都が造られたこと。遣唐使等による国際交流が行われ、大陸の文化と、日本の文化を融合させ、天平文化を開花させた事。更に新しい時代に向けた国造り、世界各国との文化交流を深める事。などなど。

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2010年10月25日

人に出会い、美しい風景に感動し、歴史に触れた9日間


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ー 朱 雀 門 ・ 衛 士 ー

朱雀門広場に朱雀大路が真っ直ぐ朱雀門へ。朱雀門では警護の衛士隊が閉門の儀式を古式豊かに行っていた。 4時10分閉門。簡易な鎧を着て、弓矢を持っての武装姿。私が倒着したのは4時30分頃、大方終わっていた。 朱雀門をくぐると大極殿が遠くに見える。手前は未開発の草むら。近鉄奈良線の電車が走り、踏切もある。どうして。ここは大極殿院の内部ではないのか。1300年間の移り変わりとは言え、余りにも悲しい。
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2010年10月24日

人に出会い、美しい風景に感動し、歴史に触れた9日間


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ー 唐 招 提 寺 ー

薬師寺から遷都1300年祭の平城宮跡へタクシー。途中、唐招提寺に寄り道。言うまでもない。鑑真和上の祀られている寺。日本からの強い懇願に対し鑑真和上自ら日本への渡航を決意、その困難を乗り越えて、6回目にしてようやく日本にたどり着く。御歳66歳。航海の苦労に失明。栄養失調だったとか。当時無かった日本に仏教の戒律を広められ、その後10年、76歳。日本にてその生涯を閉じられた。 御影堂には和上の肖像が祀られ、その周囲には東山魁夷の障壁画、日本と中国の風景が奉納されている。
若葉して 御目の雫 ぬぐわばや   芭 蕉

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2010年10月23日

人に出会い、美しい風景に感動し、歴史に触れた9日間


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ー 玄 奘 三 蔵 院 伽 藍 ・ 玄 奘 塔 ー

約1500年前、17年間かけてインドへ旅し、仏教経典を学び、経典1335巻を持ち帰り、それを翻訳して、法相宗を広めた中国の高僧。それが玄奘三蔵。薬師寺は法相宗の大本山。だから玄奘三蔵院伽藍がある。その中央に玄奘三蔵の分骨を収めた玄奘塔が輝かしい。ここに太く逞しい金文字の額 「不東」 が掛っていた。「西」のインドへ向かい、自分の目的が達成される迄「東」の中国へは戻らない。強い信念を表しているという。この裏側に「大唐西域壁画殿」があり、平山郁夫画伯が30年の歳月を掛けて描かれた壁画を見ることが出来る。 玄奘三蔵、求法の精神を描いたと言われている。
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2010年10月22日

人に出会い、美しい風景に感動し、歴史に触れた9日間


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ー 薬 師 寺 ・ 東 塔 ー

薬師寺創建当時から唯一現存するのは東塔のみ。遷都1300年の歴史をそのまま残している建造物。それを知ると、感慨深いものがこみあげてくる。各層に裳階を付けているため、六重に見えるけれど、三重塔。この特異な形が全体として律動的な美しさを保ち、”凍れる音楽”とも呼ばれている。これに対し西塔は昭和56年、宮大工棟梁・西岡常一氏よって再建され、その華麗な姿は東塔の昔をしのばせて印象的。 50年前には西塔はなく、基礎石のみが残っていた。その基礎石の窪みに水が溜まり、東塔を映していたのが思い出される。 金堂も、大講堂も仮住い。それを想えば今昔の感、甚だ深い。
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2010年10月21日

人に出会い、美しい風景に感動し、歴史に触れた9日間


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ー 薬 師 寺 金 堂 ー

薬師寺金堂と言えば、高田好胤師。丸顔、童顔。くるくるした丸い眼。 昭和42年、百万巻写経勧進により、金堂再建を提唱。 全国を歩きまわり、テレビにもよく出られた。「○○坊主」悪評にも負けず、昭和46年満願を果たし起工。51年、白鳳時代様式そのままに復興。 設計図も無い、この難工事に携わったのが、宮大工棟梁・西岡常一氏。「正しく使えば木は1000年もつ。1000年先を見据えて造らねばならん」その宮大工としての信念をテレビ「プロジェクトX」で知る。 かの日光菩薩、月光菩薩がおわします。
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2010年10月20日

ち ょ っ と 失 礼、飛 び 入 り で す


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ー 火 の 鳥 ー

一昨日、こんなメールを頂きました。
「ご無沙汰です。御壮健での創作活動なによりです。いつも感服しております。
さて、私事。使用中のパソコンも、小生同様老朽化し、近々いったん閉じる事にします。6年余にわたり、ブログを拝見できたこと。有難うございました。
喜寿の青春にむかって、益々ガンバッテください。」
絵の先輩。気さく。55年の永き付き合い。早速、電話しました。「いやー本来パソコンは苦手でね、買い替える必要もなくなった。時々孫に見せてもらうよ」 「自分探しに対する感想は」 「種明かししちゃいかんね」 言葉は常に的を射ている。電話の余韻しみじみ。

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2010年10月19日

人と出会い、美しい風景に感動し、歴史に触れた9日間


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ー 斑 鳩 の 里 の 瓢 箪 ー

中宮寺から法輪寺への道は斑鳩の里として、私の記憶に想い出深いものがあります。足は自然にそちらへ向かっていました。しかし、道の両側は新興住宅が立ち並び、行けども私の記憶にたどり着きません。 小さな池のほとり。 草むらで広げた弁当の思い出。水に映った雲。しばらくのうちに迫ってきた大夕立。一つ日傘に肩寄せ合って、近くの御堂迄走ったあの日。 そして、濡れた顔をハンカチでぬぐいながら見つめ合った苦笑い。 池は柵に囲われて、そのおもかげもありません。 50年の歳月はこの斑鳩の里にも大きな変貌をもたらしていました。 温め続けた青春の輝きも、何と儚く空しいものか。ささやかに私を癒してくれたもの。それは民家の庭に揺れている斑鳩の里の瓢箪でした。
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2010年10月18日

人に出会い、美しい風景に感動し、歴史に触れた9日間


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ー 中 宮 寺 ー

夢殿をひとまわりして、中宮寺へ。「創建の飛鳥時代このかた1300余年の永きに亘り、尼寺の法燈を続けているのは実に当寺だけであります」 としおりに書かれている。昭和43年に建て替えられた本堂はこじんまりと、浅い池の中に立ち、周囲は金色の山吹に囲まれている。門跡寺院らしい優雅さと、尼寺らしいつつましやかさに、昭和の新味を兼ね備えた御堂。ここに漆黒の「考える像」思惟半跏像がある。スフィンクス、モナリザ、と並んで「世界の三つの微笑像」とも呼ばれている。右足を左膝の上に置き、右手を曲げて、その指先を頬にふれている。その清純な気品は見る者をも清めてくれる。
 本堂の中は思惟半跏像・如意輪観世音菩薩の微笑を想像すべくあえて真黒とする。

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2010年10月17日

人に出会い、美しい風景に感動し、歴史に触れた9日間


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ー 恋 人 の お も か げ ー

百済観音。 今は立派な 「百済観音堂」 に一体のみ安置されている。 初対面の昔薄暗い部屋の一部に他の仏像と共に並んでいたように思う。 百済観音の名さえ知らなかった私が初対面で  「何と美しい仏像」 と一目ぼれした観音様。 後日、亀井勝一郎の「大和古寺風物詩」を読んで、この先生も私と同じ思いだったことを知る。
  「初めて奈良へ旅し、多くの古寺を巡り、諸々の仏像にもふれた筈なのに、結局私の心に鮮やかに残ったのは百済観音の姿だけであった。 私の初旅の思いではつまりは百済観音の思いでとなるのでる。・・・百済観音の前に立つった刹那、深淵を彷徨うような不思議な旋律がよみがえってくる。 仄暗い御堂の中に、白焔がゆらめき立ち昇って、それがそのまま永遠に凝結したような姿に接するとき、我々は沈黙する以外ないのだ。 その白焔のゆらめきは、おそらく飛鳥びとの苦悩の旋律でもあったろう」  
  私の言葉は一切いらない。

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2010年10月16日

人に出会い、美しい風景に感動し、歴史に触れた9日間


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ー 法 隆 寺 ・ 南 大 門 の 柱 ー

お寺の木目ばかり撮っていた頃。法隆寺の木目を撮りたいと思っていました。思った通り沢山の木目があります。南大門の柱。再建されて約600年。柱の一部分のみを見つめてみると、何かを語りかけているように思えます。 600年立ち続けた声。 五重塔、金堂、内部を拝観して、百済観音堂へ。 昔、一目ぼれした恋人に50年ぶりの再会。
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2010年10月15日

人に出会い、美しい風景に感動し、歴史に触れた9日間


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ー 法 隆 寺 ・ 中 門 ・ 金 剛 力 士 ー

23日は朝から雨。 実家・兄の家にゆっくりする。 24日、すっかり涼しくなって快晴。 北条の羅漢さんへ行く。 来年の羅漢展は記念すべき10回展。  人間の喜怒哀楽をテーマにしようと考えている。そのつもりで、メモを取りながら、時間を掛けて撮影。作品は後日、報告するとしよう。 24日。 快晴。 奈良法隆寺へ出かける。 大阪から大和路快速に乗れば1時間足らず。法隆寺に着く。 50年前に比べれば便利になったものだ。法隆寺駅から歩いて20分。こんなに遠かったかと50年前を振り返る。昔と変わらない松並木の参道を歩いて南大門。 くぐれば西院伽藍。 その中門の左右に金剛力士。中門を通り抜けると左に五重塔、右に金堂、その奥に大講堂。50年前の記憶が蘇る。
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2010年10月14日

人に出会い、美しい風景に感動し、歴史に触れた9日間


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ー て っ ぱ ん ー

大通りを横切って少し行くと、海。 防波堤の手前はきれいに舗装されて良き散歩道。わずかに海を隔てて向島。造船工場であろう、クレーンが見える。鉄骨張りの構造物が見える。これが尾道の一つの風景。テレビ小説「てっぱん」に出てくる風景。行った事のある場所、見た事のある場所がテレビに出てくると、なんとなく親しみを感じる。主人公の父親は鉄工所を経営している。 「てっぱん」 とはお好み焼きを焼く鉄板の事。大阪に出て、働く店が破産。やむを得ず、お好み焼屋を開くことになるそうな。楽しみである。
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2010年10月13日

人に出会い、美しい風景に感動し、歴史に触れた9日間


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ー 坂 の 街 ・ 尾 道 ー

ロープウエイで登れば、すぐその辺りは千光寺公園。芝生と樹々の緑の公園。桜の樹が多い。 桜の頃は見事であろう。 尾道市立美術館がある。新しく、しゃれた美術館。70歳以上は無料。若い、地元の画家の作品が展示されていた。さて、坂の街・尾道の坂を下る。途中、志賀直哉の旧居、中村憲吉の旧居に寄り道し、文学記念室に入る。部屋数の多い民家を記念館にしたもので、林芙美子、横山美智子、川柳の麻生路郎等、尾道ゆかりの文学者の資料がある。案内人が親切に説明してくれた。坂道は下り、苦にはならない。 むしろ目に珍しく、楽しい。下りきって、道路を渡ればすぐそこが港。
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2010年10月12日

人に出会い、美しい風景に感動し、歴史に触れた9日間


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ー 尾 道 展 望 ー

ロープウエイへの道。商店街。 「てっぱん」 のポスターがあちこち貼ってある。 次のNHK連続テレビ小説。 それは尾道が舞台になっているから。 是非見たいと思う。 ロープウエイで144mの頂上展望台迄。開けた眺めはすぐ下に大きく向島。続く島々はすぐそこにあり。瀬戸内海は狭く、まるで川のよう。造船場がひしめき、クレーンがにょきにょき伸びている。左端に瀬戸内しまなみ海道の新尾道大橋が見える。この海道が向島、因島、生口島、大三島と結び今治に続いているのだ。この展望の元、昼食とする。
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2010年10月11日

ち ょ っ と 失 礼、 飛 び 入 り で す


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ー 戦 争 の 跡 ー

何故こんな気持ち悪いものを描くのですか
意識して創るのではなく出来るのです
一生懸命やっているうちにこうなっているのです
色も赤や青や黄や金や銀や華やかです
なのにこうなるのです
自分が魅かれる方向に進んでいるとこうなっているのです
自分自身ありのままなんです
最後に色調補正とちょっと付け足す事があります
それは出来たものに沿っての補足に過ぎないのです
本当の自分自身なのでしょう

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2010年10月10日

ち ょ っ と 失 礼、 飛 び 入 り で す


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ー 蝕 ま れ ゆ く 地 球 ー

人に出会うのは有難い。美しい風景に感動するのは嬉しい。歴史に触れるのは楽しい。でも、そういう旅日記も10日以上も続くと、ぬるま湯に浸かっているようで、どうも身体がなまってきます。そういう旅日記を続ける陰で、私は本当の自分を探しに毎日400枚ばかり独自の作品を撮り続けています。いくら続けても「よしこれ」という作品は出来ません。 それでもたまには、刺身のワサビのように、ピりッと刺激になる様な気がします。
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2010年10月09日

人に出会い、美しい風景に感動し、歴史に触れた9日間


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ー 林 芙 美 子 像 ー

22日。9時ころ、タクシーを頼んで新山口へ。早朝の大雨も止んで、青空も見えている。車の少ない道は快適である。10時25分のこだまで新尾道へ。 2時間近くもかかる。新尾道駅で荷物をロッカーに預けて尾道駅へ。タクシーで約10分。尾道観光の予定は千光寺山展望台までロープウエイで登り、尾道独特の坂道を歩いて下る。4時間ばかりの行程。 ロープウエイへの道すがら。 商店街の入り口に林芙美子の像があった。
「海が見えた。海が見える。五年ぶりに見る尾道はなつかしい」
 林芙美子「放浪記」より。石碑もある。
尾道は海と島が間近に見える街である。
  

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2010年10月08日

人に出会い、美しい風景に感動し、歴史に触れた9日間


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ー 十 三 夜 の 月 ー

食うや食わずの修業時代。自分の作品と売れる品物。自分も満足して、客も買って下さる。その境界。初めて自分の窯が出来た喜び。己の美を追求して止まない心は様々な葛藤を繰り返しながら、ふり返ればそこに自分の道が出来ていた。好きな事をひたすら歩む。話は尽きない。 「いやー有難うございました。6時になりました」 「勝手な話に引きとめて悪かったね」 「偶然にしても、見事な出会いでした。心温まりました」 見送られながら外へ出る。 昼間の猛暑も収まって、松本川の川風が涼しい。 見上げれば十三夜の月。中秋の名月を明日に控えて、暮れなずむ萩の空に美しく爽やかである。
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2010年10月07日

人に出会い、美しい風景に感動し、歴史に触れた9日間


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ー 萩 焼 窯 元 ・ 外 園 元 萩 大 先 生 ー

NHKテレビ「鶴瓶の家族に乾杯」で鶴瓶とコシノヒロコが萩を訪ねていました。私は萩旅行を予定していたので、録画しておりました。大方の萩は見て回り、最後に桂太郎旧宅を訪ねてしばらく行くと、赤い蛇の目傘を広げた古びた窯元があります。「味のある店だな」と覗いていると「どうぞお入り下さい」と声がする。見ると、のれんの陰から銀色の髭を蓄えた顔。その笑顔。見覚えがある。テレビで見た大先生。「鶴瓶の家族に乾杯の・・」「そうです、どうぞ」作品が沢山並んでいる座敷にまねかれる。「慎ちゃんとお弟子さんがおられましたね」「5時で、先ほど帰りました」「お茶をどうぞ」奥さんがお茶と煎餅を出して下さる。「貴ちゃんでしたね」「ハイ」丸顔のにこにことした20歳も違う若奥様。愛想が良い。差し出された芳名録に署名して、「埼玉から来ました」というと、「昨日も埼玉の人が来ておられました」「宿との約束で6時までには帰らないといけなんです」「宿は何処ですか」「萩本陣」「近い、自転車なら15分あれば帰れます」他人へのもてなしの気持ちが溢れる元萩先生。その美しさのとりこになって話がはずみました。ーつづくー
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2010年10月06日

人に出会い、美しい風景に感動し、歴史に触れた9日間


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ー 木 戸 孝 允 旧 宅 ー

1833年、木戸孝允(初名・桂小五郎)がここで生まれて、20歳頃まで住んだという旧宅。瓦葺二階建。2帖、3帖、4.5帖、6帖、8帖。小さな部屋が14部屋もある。当時の姿をよく残していたため、昭和7年に国の史跡に指定。「160年前、木戸孝允はこの庭を見ながら、日本の将来を考えていたのでしょう」案内のおばさんが説明して下さった。
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2010年10月05日

人に出会い、美しい風景に感動し、歴史に触れた9日間


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ー 萩 城 跡 ・ 指 月 公 園 ー

旅館でもらった萩観光案内図を手に自転車を走らす。だが、いろいろあってどちらへ行っていいのか見当がつかない。幸いキタムラカメラを見つけて、メモリーカードを買う。4G。これで何枚撮っても安心。川沿いに走れば眺めもよかろうと橋本川に沿って海の方向へ。美しい砂浜に出る。菊が浜海水浴場。泳いでいる人は一人もいない。その先は萩城跡。今は公園になっている。公園内も自転車OK。萩城の説明がある。毛利元就の孫、輝元によって慶応9年(1604)起工、4年の歳月を経て完成。明治7年(1874)解体されるまで約270年間毛利氏13代にわたり、萩藩政治の中心となったとある。今は石垣と堀の一部が昔の姿をとどめているのみ。整備された指月公園も、ただの雑木林。
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2010年10月04日

人に出会い、美しい風景に感動し、歴史に触れた9日間


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ー 松 下 村 塾 ー

明ければ21日。9時過ぎにタクシーを頼んで萩へ。神楽を舞っていたという運転手さん。 神楽のこと、道路脇のガードレールの橙色。島根県特産夏ミカンの色であること。などなど、楽しく話して下さった。11時前に萩本陣に着く。荷物を預け、自転車を借りて、すぐ近くの松陰神社・松下村塾へ。1857年。実家敷地内の小屋を改造して八畳の塾舎とし、翌年十畳半を増設。これが松下村塾。ここで吉田松陰が教育したのは1年間だけ。実家幽因時代を加えても2年半。 わずかな期間に、粗末な教室から、若い松下村塾生が育ち、明治維新の原動力になったことは言をまたない。久坂玄瑞、高杉晋作、吉田松陰、木戸考允、山形有明、伊藤博文。歴史上の人物の名と写真が掲げてある。
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2010年10月03日

人に出会い、美しい風景に感動し、歴史に触れた9日間


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ー 津 和 野 夜 神 楽 ・ 大 蛇 ー
 
「神楽を見ませんか」宿の係員に勧められて、近くの公民館へ出かける。夜8時。演目は「大蛇(おろち)」 須佐之男命が出雲の国に入った時、大蛇に娘をさらわれて悲しむ老夫婦に出会う。 そこで、大蛇に毒酒を飲ませて退治する話。 最後に3匹の大蛇が現れて戦う場面。八調子の早いテンポで、笛と太鼓が長々と続く。その迫力に吸い込まれて、カメラのシャッターは300枚を超える。カードは満杯。ぶれたのを半分消してまた撮影。凄いの一語に尽きる。錦の衣装は20kgを超えるという。その価額100万円也。
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2010年10月02日

人に出会い、美しい風景に感動し、歴史に触れた9日間


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ー 津 和 野 の 鯉 ー

津和野と言えば、古い町並みと鯉。私も、それを最大の楽しみにしてきた。町並みを少し離れた所を流れる津和野川にも、ちらほら鯉は見える。だが、津和野の鯉は石模様で舗装された綺麗な道路の殿町通り。大岡家老門、藩校養老館など、古い屋敷が並び、その片側に掘割と呼ばれる幅1m余りの小川が続く。 ここに鯉がいる。所どころ花壇が作られ、その季節には花菖蒲が彩を添える。更に黒地に白い交差模様のナマコ壁。これぞ津和野の風景。水は美しく透き通り、数多の鯉は丸々太って赤、黒、白、金色の錦を織りなす。人力車の兄ちゃんが汗を拭う。正に私が描いた津和野そのものである。
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2010年10月01日

人に会い、美しい風景に感動し、歴史に触れた9日間


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ー 森 鴎 外 旧 宅 ー

美術館を出て、しばらく歩くと今夜の宿。荷物を預け、自転車を借りて散歩に出発。駅前の観光案内所で頂いたガイドマップを手に。 「歴史、文化、自然、城下町」「津和野町の案内図」とある。 先ず、森鴎外旧宅まで。森鴎外が生まれた家。土塀に囲まれた古い門構え。ほどほどの庭があって、こじんまりと素朴な建物。雨戸を開け放ち、家の中が見通せる。勉強部屋は掘りごたつのみ。 裏手に鴎外記念館。そして、緑青の胸像。
posted by t_matusige401 at 06:50| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする