2009年04月30日

カメラで描いた北条の羅漢さん


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ー 樹 下 ー

菩提樹の下でお釈迦さんは悟りを得たと云われます。樹下、そんな気持ちで描こうとしたのですが、出来上がったものはご覧の通り。森の中にぼんやり立っている二人です。何故立っているのか解りません。「緑陰」と題して新緑の爽やかな気分を、とも思いましたが、それも出来ませんでした。でもある先生はなかなかいいではないですか、とおっしゃって下さいました。何がどういいのか私は納得していません。
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2009年04月29日

カメラで描いた北条の羅漢さん


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ー 来 た 道 ー

道を描くと、来し方行く末を連想して、描いた人の人生を象徴する意味にとれる。私も今までそういう意味で、我が道を何度か描いてきた。だが羅漢を二人並べて、来た道などと題名を付けると、まだそんな年でもあるまいと思う。曲りくねった道はともかくも、何故こんなに暗く、わびしい道になるのだろう。決して意識してこう描いたわけではない。つい先日、一応出来上がっていたそれは田舎道ではあるが、明るく素朴な道であった。それが、昨夜になってこのように変わってしまった。暗さに疑問を持ちながら、明るい道よりも、作品としては納得している。
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2009年04月28日

カメラで描いた北条の羅漢さん


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ー 羅 漢 曼 荼 羅 ー

今まで私が好んで描いてきた北条の羅漢さんを檀上に並べて 「羅漢曼荼羅」 などと勝手な題名を付けている。曼荼羅とは、本来悟りの境地を体系的に配列して図示したものをいうようだけれど、 「仏像を安置して祭る壇」 を云う場合もあるそうだから、「羅漢曼荼羅」 も許してもらえそう。別に考えも意味もない。ただ、阿修羅展にあったある曼荼羅を見て感動し、それが 「羅漢曼荼羅」 になっただけ。感動と云えば聞こえはいいが、要するにマネしてみただけである。でも、羅漢を描くからには、私なりの「羅漢曼荼羅」を完成させたいとも思う。
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2009年04月27日

カメラで描いた北条の羅漢さん


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ー 春 の 終 わ り ー

牡丹図NO.25。 やっと題名が付きました。ただの牡丹図ではありたくない。唯その想いだけ。24日、上野ぼたん苑で先ず眼についたのはこの牡丹でした。一株の樹に花が四っつ。一つはすでに花びらを散らし、その花びらが根本に三枚、四枚、五枚。花全体をうな垂れて、色の褪せ始めたのもあります。真中の一つはまだ少し、生き生きとして、朱色を木漏れ日に輝かせていました。ほとんど眞上から、落ちた花びらを大切に思いながら、角度を変えて、露出を変えて、10枚ばかりシャッターを切りました。 自分の願いが通じたかも知れない。そんな思いが少ししました。2時間余り、ぼたん苑の空気に、その雰囲気にひたりました。
 帰宅後パソコンの画面に現われた牡丹図200枚。やはり、期待通りのものは見当たりませんでした。

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2009年04月26日

カメラで描いた北条の羅漢さん


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ー 牡 丹 図 ー

一昨日、夜遅く出来た牡丹図を見て、これでいいかと思った。昨日は「これとこれとこれで何とかなりそう」という思いがした。そのためであろう。昨日はパソコンに向かっても、何も浮かばなくなってしまった。構想が浮かばなければ、絵の描きようがない。仕方なくインターネットを開いて囲碁を楽しんだ。囲碁は画面に集中して手筋を読むため、より一層目が疲れる。でもやはり楽しい。開放感がある。ここ一ヵ月近く、羅漢と牡丹に追い詰められて、可なり疲れていたようである。久し振りに新聞を見、久し振りにテレビを見た。今朝は打って変わって太陽が顔を出し、昨日の雨に濡れた新緑を美しく輝かせている。窓の風景も、それを見る私の心も、久し振りに爽やかである。
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2009年04月25日

カメラで描いた北条の羅漢さん


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ー 牡 丹 図 ー

いいものを描きたければ現場へ行くこと。現場の空気を吸うこと。描きたいものをよく観察すること。しっかりした元図を作ること。そんなことを考えていると、カメラを持って飛び出したくなった。 上野ぼたん苑は5月10日まで。 久し振りに外へ出ると意外に寒い。 ジャンパーを着て出たのだが、それでも寒い。昼には少し早かったけれど、上野の駅前で立ち食いうどん。先ずは腹を温めて気合いを入れる。上野はいつでも人が多い。ぼたん苑も混んでいた。時間はたっぷりある。ひとつひとつじっくり見つめ、自分ながらの構想を描きながら、構想に合わせて方向を変え、露出を変え、ピントを確認して、一つの株に10枚以上も撮った。 写真サイズをRAWに設定して、1G、CFカードの予備も使って200枚ばかり。RAWがJPEGより美しく撮れるという実績はない。ただRAWでダメならJPEGでもダメであろう。より良いものを求めるなら、手間や面倒くささはそれが仕事。 受け入れねばならい。それも慣れである。慣れれば当然、別にどうということはない。
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2009年04月24日

カメラで描いた北条の羅漢さん


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ー 牡 丹 図 ー

4月11日に西新井大師へ牡丹撮影に行って以来「牡丹図」の通しNO.が22を数えている。22枚も描いてまだ満足なものが出来ていない。この間、西新井大師3回、上野ぼたん苑2回、5回も撮影に行って、元図はしっかりあるはずだし、描くこと自体楽しいから、出来るまでやっておればいいというものだけれど、それでも限界がある。今日もう一枚描いて、中断し、また5月に入って再開しょうかなと考えたりしている。一枚だけでいい、これぞというのを描きたい。
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2009年04月23日

カメラで描いた北条の羅漢さん


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ー 牡 丹 図 ー

昨日、一昨日一度も外へ出ていない。いや、食事とトイレ以外は自分の部屋から出ていない。朝7時から夜11時過ぎまで16時間、部屋にこもって羅漢作成に没頭。それで満足な作品が出来ているわけではない。作品ばかりは自分が創るものではなく、天から授かるものである。いつ降りてくるか全く分からない。やらなければ得ることの出来ないのは確実である。限られた時間内に、さて出来るのであろうか。
イチローは不振のWBCで最後にタイムリーを放った。そして語った。「僕に降りてきましたね」限られた試合の中で、実績の上がらない苦痛。イチローは胃を患ってしまった。
今朝、起きて窓の外を見ると、外は霞んで見えない。いくら目をこすっても改善しない。顔を洗って目薬をさして、やっと見えた。別にどうということはない。

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2009年04月22日

カメラで描いた北条の羅漢さん


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ー 牡 丹 図 ー

院展の図録を5冊ばかり取り出して、そこに描かれている那波多目功一画伯の絵を並べて眺めている。牡丹、花菖蒲、白菊。どれもしっとりとして、奥ゆかしい素晴らしい雰囲気である。それでいてしっかりと力強い。花は撮り尽くされているとか言って、一般写真コンテストでは敬遠され勝ちである。しかし、すべては作品自体の内容次第であろう。ここに並ぶ日本一流画家の日本画に匹敵するほどの作品を創れば、何をかいわん。だがそこにある作品は天才と思しき人の、最高学府に学び、苦節何十年の結晶である。
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2009年04月21日

カメラで描いた北条の羅漢さん


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ー 牡 丹 図 ー

投稿の予定だった「牡丹図」を開いてみると、どうも硬く固まっていて牡丹の柔らかさがない。どんなに構図がまとまっても、どんなにすっきり垢ぬけても、牡丹の命が無くなっては絵にならない。昨日必至で創った長時間が無駄ではないにしてもそのままでは生きなかった。今朝になってから、没にしていた牡丹図を出してきて修正を加えた。10枚以上あるレーヤーを一枚一枚その働き具合をチエックして、色調、サイズのバランス、位置関係を修正していった。もう少しほんわかした味わいを出したいのだが、そうすると絵に締りが無くなり物足りない。また、如何にも造りましたになっては論外。そのあたりがこの上なく難しい。
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2009年04月20日

カメラで描いた北条の羅漢さん


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ー 牡 丹 図 ー

須賀川牡丹園に電話してみたが、見頃は来月10日頃。栄枯盛衰をテーマにするならば、咲き終わった牡丹も良かろうと、西新井大師へ出かける。日曜日とて大勢の人出。ぼたんは今が盛り。咲き揃ってみると結構大きな木も沢山あって、花も10や20で収まらない。高さも2mを越えるのもざらにある。もう何年も前から何度も来ておりながら、その木の大きさに気が付かなかった。木が大きければいいというものではない。沢山花が咲いておればいいというものでもない。如何に写し、如何に描くか。スケールの大きな牡丹を前にして、如何に撮るかだけで、たじろいでしまった。それでも150枚を越えるシャッターを切って、これからが勝負である。
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2009年04月19日

カメラで描いた北条の羅漢さん


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ー 牡 丹 図 ー

日本画家・中島千波の花図鑑を見ると牡丹の花が沢山出ている。花の数10輪を越える豪華なスケールの大きい牡丹図もある。私はそんなスケールの大きな牡丹図を描きたいと想う。だがそんなに沢山咲いている牡丹は須賀川の牡丹園か、島根県の大根島あたりへ行かないとお目にかかれない。須賀川ならすぐ行けるし、まだ間に合いそうだ。だが、時間がない。羅漢さんを放置したままなのである。牡丹図。羅漢に代えて描くほどに内容が充実するかどうか。先日の上野ぼたん苑での牡丹。結構大きな木があって、花の数も多いのがあった。だが、花の位置がうまくバランスがとれていない。更にもう萎れかけている。私のイメージとはかなりかけ離れていた。それでも数枚撮って放置していたのだが、眺めていると必ずしも絢爛だけが牡丹ではない。牡丹も枯れるのである。そう思い付いて描き始めた。もう三日めになる。今朝からもかなり手を掛けている。
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2009年04月18日

カメラで描いた北条の羅漢さん


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ー 牡 丹 図 ー

昨日、高校同窓生4人、5月に予定している同窓会の最終打ち合わせをする。要件は終わった後の雑談で、見合結婚だの恋愛結婚だの話題になる。その一人が「おれは見合結婚なんだけれど、深い深いいきさつがあってなー」と切り出す。「実は高校時分から、大学卒業して、サラリーマン。その間7年。ずーと付き合っていた人が居て。いざ、最後の詰めの時点で相手の親の猛烈な反対で破談になってしもうた。その晩、俺は布団をかぶっておいおい泣いた」それを見ていた弟が母親に報告したという。「兄ちゃん彼女にフラレて泣いていた」それを聞いた母親は「これは大変。あの子は無鉄砲だから、何をしでかすか分からない。早くお嫁さんをみつけてやろう」と見合話を探してきたという。何とほほえましい兄弟愛であろう。何と温かい母子の愛であろう。実にほのぼのとした家族愛である。悲しみのどん底。相手は誰でもよかったと云う。それが今の奥さんだとか。美人で愛想のいい奥さんともっぱらの噂である。
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2009年04月17日

カメラで描いた北条の羅漢さん


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ー 牡 丹 図 ー

前回のサービス券が残っていたので、昨日、上野ぼたん苑へ出かけました。暑いほどの陽気。ぼたんは満開でした。1時間足らず、ひとわたり撮った後、国立新美術館へ行き、ルーブル美術館展「美の宮殿の子どもたち」を見てきました。有名絵画とは違った一般には見ないルーブルの部分を見せてもらった気がしました。
 一昨日(15日)ぼたん寺とも呼ばれる近く(電車で30分)の西新井大師へ行きました。つい4日前に行った時はまだ咲き始めたばかりだったのに、すでに散り始めていました。今日の牡丹図は西新井大師のものです。牡丹図、まだ数日続きそうです。

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2009年04月16日

カメラで描いた北条の羅漢さん


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ー 牡 丹 図 ー

赤い牡丹の花と葉を切り抜いて、バックに自分の好みに合わせて別の絵を入れる。  今回は金箔風和紙を入れて色調及び濃度補正する。全体の色調を整えたうえでレイヤーを統一し、彩度を落としていくと、桃色の牡丹の光っているところが白くなり、まるで白牡丹。テクニックはいらない。一寸した思い付きで絵が変わってしまう。 ただそれだけ。
それでも、陽のめを見ない多くの失敗作のあるのも事実。ぼたんの艶めかしさ、妖しさが出ればいいのだが。

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2009年04月15日

カメラで描いた北条の羅漢さん


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ー 牡 丹 図 ー

このところ体調不十分です。足腰が痛く、歩くのに気になります。全身けだるく、あくびばかりしています。眼はしょぼついて、パソコンの文字も見にくくなりました。内科医はねむい病気は無いと云い、眼科医はその年になって、眼鏡に頼らず遠くも近くもはっきり見たいなんて無理だと言います。頼りのリポビタンDも効き目が薄らぎ、眼鏡を変えても改善しません。それでも、昨日は小用があって、浦和のある公園まで出かけてきました。少し雨に降られました。静かないい公園でした。夜、羅漢作成も10時過ぎには切り上げて早く寝た所為か、今朝は体調良好です。
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2009年04月14日

カメラで描いた北条の羅漢さん


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ー 牡 丹 図 ー

上野ぼたん苑が11日から開園されています。12日、博物館での阿修羅展鑑賞を兼ねてでかけました。ぼたん苑はまだ咲き具合が不十分とて、当日券でもう一度入園出来るサービスつきです。それでもよく咲いていました。 赤、ピンク、白、黄色、種類もいろいろ。100枚ばかり撮ることが出来、満足です。 阿修羅展は20分待ちでした。見るべき雰囲気が非常によく造られていて、ゆっくり、しみじみ鑑賞出来ました。高さ1m足らずの阿弥陀三尊は鈍い金色の光を内に秘めて、そのたたずまいに心魅かれました。 
 「牡丹図」 数日追及してみます。

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2009年04月13日

カメラで描いた北条の羅漢さん


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ー 緑 陰 ー

この作品を作り始めた時から 「緑陰」 の感じがしていた。そして、緑陰を描きたいと思い、うまくいけばいい題名だと思っていた。でも、みどりの陰の瑞々しさが出ない。昨日上野公園へ行った。美しい緑があった。それを写してきた。そしてその緑を取り入れたのだが、やはり私の頭に描く緑陰が出ない。今朝になってからもまた、手を加えた。
 いつの時も私の絵は爽やかさに無縁である。

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2009年04月12日

カメラで描いた北条の羅漢さん


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ー 風 雪 4 0 0 年 ー

北条の羅漢さんが出来たのは慶長10年頃ではないかと推測されている。約400年前。最近では見るも無残な剥落があちこちに見られる。近くの石山から斫り出された俗称高室石といわれる石材だそうだけれど、触ればぼろぼろ剥がれる部分もあるほど。補修の方法なども考え、いろいろ手を尽くしておられるようだけれど、出来るだけ自然のままという願いもあって、補修も思うようには進まないようである。目鼻が剥れて低くなっても、そこには羅漢さんの表情ははっきり残っている。風雪400年に耐えた表情である。
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2009年04月11日

カメラで描いた北条の羅漢さん


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ー ひ と り ぼ っ ち ー

4月6日掲載「ぬれそぼつ」。感じは出ているのだが、羅漢さんが真ん中に大き過ぎ、その必然性が読み取れない。少し小さくして右方へ寄せたのだが、これは定石の範囲内私はかつて囲碁の先生に指導碁を打って頂いた時 「ここに打つのが普通です」 と指摘され、「普通の手はつまらない」 と返事すると 「普通の手が最も良い手なのです」 と強く叱られたことがある。私は 「奇をてらう」 のが好きである。独自の世界とか、若さに溢れているとか云われていい気になっている。それもよかろう。しかし、すべては基本が正しく出来た上での飛躍でなければならない。 「正しい基本」 今更無理の気もするが、せめて気持ちだけは不可能があってはならない。
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2009年04月10日

カメラで描いた北条の羅漢さん


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ー わ な ー

「わな」 などという行為は推理小説の中に存在する架空のもので、一般庶民の生活の中には存在しないものと私は思っている。にもかかわらず、そういう感じのする作品が出来てしまった。摩訶不思議な話である。
 3月25日掲載の「説教」、どこか間延びがして締りがない。もう少し緊迫感が欲しい。そう思いながら修正を加えた。説教する脇役の羅漢の位置と角度を変えると、その視線は斜めに注がれ、堂々と説教する態度が、姑息に噂する姿に変わってしまった。私はそれもまた、むしろその方が作品として面白いと思ったのである。「落としいれ」「はかられる」「わな」。作品らしい題名が浮かばないまま。「わな」

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2009年04月09日

カメラで描いた北条の羅漢さん


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ー 辛 抱 ー

世の中、自分の思う通りにならないのが当たり前。 すべき事をよく考え、納得の上で行動して、うまくいかなかったとしても。 またそれが、幾度も繰り返されたとしても。 
振り返ってみると、そこには必ず自分の行動の不完全さがある。自業自得なのである。 自業自得ならば、反省して再挑戦する。 あせってはならない。 更にまた、ゆっくり自分の足跡をたどってみると、案外うまくいっていることもある。  じーっと「辛抱」

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2009年04月08日

カメラで描いた北条の羅漢さん


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ー 天 変 地 異 ー

3月28日掲載「羅漢浄土」。羅漢浄土にしては全体に頼りない。主役の羅漢の表情がぼやけている。そういう感想を聞いて、その通りと思う。それならば、もう少し毅然とした羅漢さんに変えよう。そう思い立っての修正。この場に似合う羅漢さんが見当たらない。品がなくてはいけない。写り具合、光の当たり加減。数多いい実績から探す。あれや、これややっているうちに、羅漢浄土に騒動が起こっていた。「天変地異」
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2009年04月07日

カメラで描いた北条の羅漢さん


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ー 盛 衰 ー

盛衰。盛んなことと衰えること。単に盛衰と書くと、私には盛んだったものが衰えた現状という意味にとりたくなる。そうだとすると、4月3日掲載の「盛衰」は表情が元気にしっかりし過ぎている。過ぎ去りし栄光はいずこ。またの再起を誓いながらも今は今である。そういう表情に修正。
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2009年04月06日

カメラで描いた北条の羅漢さん


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ー ぬ れ そ ぼ つ ー

昨日朝、デジタルアートの仲間、先輩格から電話があった。「表情を変えるやり方。簡単な方法連絡します」という。「ああやって、こうやって、それからこうして・・」「なるほど。直接描くより、その方がレーヤーが独立しているから失敗しても被害が少ないですね」「そうなんですよ」「早速やってみます。解らなければまた電話します。有難うございます」午後から4月1日に掲載した「しがらみ」を取り出して修正を加える。とは言ってもそう簡単に出来るものではない。ヒントを基に自分なりのアイディアを加えながら没頭する。夕方やっと何か雰囲気のあるものが出来た。「ぬれそぼつ」。
 今年70回を迎える第一線写真コンテストの作品集が届いた。見ると、審査員講評の中に次のように書かれている。  「体の奥底からにじみ出た感性を写真に表現して欲しい。デジタルのテクニックを駆使して、過去の形を破った意外性のある写真表現を求めたい。その人でなければ表現出来ない独創性であり、選者の目はその魅力に引かれる」 今年の締切は10月30日必着。

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2009年04月05日

カメラで描いた北条の羅漢さん


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ー 暗 雲 ー

昨日、午前中は孫二人と最近出来た超大型のスーパーへ電車で出かけました。平素、車ばかりで、電車に乗らない二人は自分で切符を買って、御満足。
 午後からは孫たちに失礼して、銀座でデジタルアート研究会。羅漢を自分自身に見立てる事の無理加減。羅漢は悟った人間なのだが、被写体が石仏では、やはり見る者にとっては仏としか理解出来ないという。決まった石仏を扱って、それを主体に様々な感情表現の無理加減。内容と羅漢の表情が一致していない。さもありなん。表情を内容に合わせて描かなければ、見る者を納得させる事は出来ないであろう。厳しい基本的な意見。表情を描く技術の習得。大きな課題である。

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2009年04月04日

カメラで描いた北条の羅漢さん


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ー 団 地 の 桜 ー

昨日、孫たちが来ました。天気もいいし、近くの大宮公園へ花見にでかけました。広々として大きな池もあって、沢山の桜の樹も7分咲き。ゆっくりとした広場でお弁当。賑やかな出店が沢山並んでいます。その店の中にコルクの弾で景品を打ち落とす射撃がありました。二人の孫たちはそれぞれに6発の弾を発射。そのうち4発と3発が命中。景品を頂きご機嫌です。
 今朝。6時に散歩に行こうと部屋へ来る。今日も快晴。一時間ばかりカメラ散歩。団地の桜はまだ3分咲きでした。

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2009年04月03日

カメラで描いた北条の羅漢さん


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ー 盛 衰 ー

私はこの団地に住んで40年、毎日新聞一筋。この間、何度も新聞の勧誘があったけれど、かたくなに断り続けてきた。その内容に気に入ったからではない。ただ単に変える必要がなかっただけである。 昨日、朝日新聞の勧誘に来られた。女房はインターホーンのみで、「新聞は変えません」といつもの調子である。新聞屋さんが帰った後、「朝日新聞がいろいろサービスすると言ってたよ」という。別に気に留めず羅漢さんを描いていた。が、ふと気が付く。美術展の招待券をサービスしてくれないだろうか。「読売新聞が届けてくれるんです」と上野美術館、西洋美術館、国立新美術館、その他あちこち、何度も誘われたことがある。それを知って、毎日新聞にも問い合わせたのだが、いい返事はなかった。 「ひょっとすると」と思い付き、朝日新聞販売店に電話する。「すぐ伺います」と二つ返事。 一時間後、ヘルメットをかぶった大柄の青年がすごい迫力で玄関に立っている。差し出す手には「店長」の名刺。そして、国宝・阿修羅展の招待券が二枚。 「年間の美術展予定表も持ってきます、その中から選んで下さい。ルーブル展も数日中に持ってきます。 どうか24か月契約して下さい。 お願いします」 深々と頭を下げる。 仕事への情熱が満ち溢れていた。
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2009年04月02日

カメラで描いた北条の羅漢さん


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ー 御 来 光 ー

もう50年近くも前の事である。弟が万端用意してくれて、二人で富士山に登ったことがある。私は一足毎に変わる遥かな風景を振り返りふりかえり眺めた。弟は高山病を防止のためとレモンを用意してくれた。かじりながら歩けばいいという。時々休みながら、夕方には予定の山小屋に到着した。どのように寝て、どのように起きて、翌朝の頂上に着いたか覚えていない。期待した御来光はおろか、悪天候で視界は遮られていたことだけは覚えている。幸い雨には降られず無事下山することが出来た。麓の氷穴に案内してくれ、眼鏡が曇ったことも。幅広い白糸の滝の前に立って感激したことも。私にとって貴重な想い出となっている。しかし、私は未だ、これどと思う御来光に浴していない。
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2009年04月01日

カメラで描いた北条の羅漢さん


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ー し が ら み ー

文化勲章受章画家・中川一政は生涯800枚ものバラの絵を描いたという。しかも、本格的にバラを描き始めたのは65歳を過ぎてから。 「絵は美しいか醜いかではなく、生きているか死んでいるかである」 これが画家の信条。バラの中に自分自身の魂を注いだのであろう。自分が生きていることは、つまり、バラの絵が生きていること。バラの絵は自分自身だったのだ。 「それから20年もなるであろうか、この頃やっと、自分のバラが描けるようになった」 画家の言葉である。97歳の生涯を終える3か月前に完成した 「絶筆・薔薇」 のあと、描きかけのバラのキャンバスが画架に架かったままという。
  真鶴の中川一政美術館へ行ってみたい。美術館のそばに桜並木があるそうな。

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